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大阪高等裁判所 平成7年(ネ)3471号 判決 1996年10月30日

主文

一  原判決中被控訴人大阪府に関する部分を次のとおり変更する。

1  被控訴人大阪府は控訴人に対し、金二二八万三八四六円及び内金二〇八万三八四六円に対する平成五年一月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人の被控訴人大阪府に対するその余の請求を棄却する。

二  控訴人のその余の被控訴人らに対する控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、被控訴人大阪府と控訴人の間においては、第一、二審とも同被控訴人の負担とし、控訴人とその余の被控訴人との間においては、控訴費用は全部控訴人の負担とする。

四  この判決は、一項1に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  住之江署警察官による指紋混入の違法性に関する検討(争点1)

一  指紋混入の主張の要約

1  控訴人の主張

(一) 住之江署から本部鑑識課に送付される段階で、第一事件の現場で採取された指紋として扱われた本件指紋転写紙は、真実は第一事件の現場における鑑識活動によって採取された指紋に関するものではない。

(二) 本件指紋転写紙は、それ以外の機会に採取された指紋に関するものである。

(三) 住之江署警察官は、本件指紋転写紙を、何らかの経緯で、第一事件のものとする措置をとった。すなわち、住之江署警察官は控訴人の指紋を混入する違法な行為をした。

2  被控訴人大阪府の主張

(一) そもそも指紋転写紙に採取された控訴人の指紋が第二事件現場において採取された客観的可能性がない。このことは右現場で鑑識活動に従事した北川巡査部長が、第二事件現場で指紋転写紙に採取した指紋はない旨を延べ、控訴人自身も刑事裁判においてこれを認めている。なお、本件指紋転写紙に凹凸の刻印も転写されていないから、控訴人が北川に手渡したというキャッシュカードの指紋からの転写とも認められない。

(二) 本件指紋転写紙の控訴人の指紋は、第一事件現場で採取されたものであるか、第二事件現場で採取されたものであるかのどちらかである。そして、第二事件現場における指紋採取の可能性は経験則上存在しない。

したがって、第二事件現場で採取された指紋転写紙が、第一事件現場のものに混入する余地はない。

二  検討

1  原判決の引用

原判決二二枚目裏九行目文頭から二四枚目表三行目文末までを引用する。

ただし、次のとおり補正する。

(一) 二三枚目表二行目の「同所で」の次に「乙山の妻竹子を立会わせて」を加入する。

(二) 二三枚目裏二行目の「番」を「番博一」と改める。

(三) 同五行目の「検出できず」から同六行目の「なかった」までを「検出できないとして、鑑識活動を終了したと述べている」と改める。

2  本件指紋転写紙が第二事件現場その他で採取されたものてあって、これが第一事件現場のものに混入したという控訴人の主張を立証ないし認定するには次の方法が考えられる。

まず、控訴人が本件指紋転写紙の指紋がどこで誰によって採取され、どのようにして第一事件現場採取分として混入されたのかを具体的に特定して立証し認定するもので、これが本来の立証ないし認定の原則である。

しかし、一人又は数人の公務員による一連の職務上の行為の過程において、しかも捜査の密行性の下で行われた指紋採取とそのゼラチン転写について被害者に前示特定の時期、場所、特定人による特定の行為を立証させるのは酷に過ぎる。

そして、そもそも本件指紋は第一事件現場で採取されたか、そうでなければその他の場所(第二事件現場等)で採取されたもののいずれかであることは論理上明らかである。

そうすると、本件指紋の採取が、(1)第一現場であることを否定することによって、第二事件現場等の採取を立証する方法と、(2)第二事件現場の採取を否定することによって、第一事件現場の採取の可能性を推測させる方法がある。控訴人は主として(1)の方法を使用し、被控訴人は大阪府は(2)の方法を用いているともいえる。

3  ところで、公共団体に属する一人又は数人の公務員による一連の職務上の行為の過程において他人に被害を生じさせた場合において、それが具体的にどの公務員のどのような違法行為によるものであるかを特定することができなくても、右一連の行為のうちのいずれかに故意又は過失による違法行為があったのでなければ右の被害が生ずることはなかったであろうと認められ、かつ、それがどの行為であるにせよ、当該公共団体が国家賠償法上又は民法上賠償責任を負うべき関係が存在するときは、当該公共団体は、加害行為不特定の故をもって右損害賠償責任を免れることはできない(最判昭五七・四・一民集三六巻四号五一九頁参照)。

したがって、本件に関しても、違法行為及び同行為者が特定されて主張立証された場合はもちろんのこと、違法行為又は同行為者が具体的に特定されなくとも、住之江署の警察官が第一事件現場での鑑識活動を行ってから、同採取指紋を本部鑑識課に送付するまでの指紋転写紙等の取り扱いの一連の作業過程(以下「本件一連の作業過程」ともいう)のうちのいずれかの段階における故意又は過失による違法行為によって、控訴人に被害を生ぜしめたといえるのであれば、被控訴人大阪府は損害賠償責任を免れることはできない。

そして、本件では、控訴人に対する被害を生じさせたというのは、住之江署警察官が、控訴人の本件指紋について、これが真実は第一事件現場で採取されたのではないのに、本部鑑識課に送付するまでの段階で、第一事件に関する指紋として混入する事態を招いたこと(さらに、そのことによって、ひいて控訴人に対する逮捕、公訴の提起という刑事手続きを受けさせるに至らせたこと)を指す。

そうすると、住之江署の警察官の本件一連の作業過程において、どの警察官がどのような態様で本件指紋を混入したかとういう、違法行為の具体的な内容又は同行為者が誰であるのかに関しては、控訴人において必ずしもこれを特定して主張立証する必要はない。

しかし、本件指紋転写紙の他から混入した事実の前提として本件指紋が第一事件現場で採取されたものでないことを立証し、認定する必要がある。

そこで、以下この点につき検討する。

4  第一事件現場での採取可能性

(一) 第一事件現場に窃盗事件発生当日の平成二年九月二八日午前七時頃、住之江警察署加賀屋派出所勤務の被控訴人松本公一巡査が駆けつけ、現場鑑識活動を行なった。その際被害者乙山松夫方の電話台、茶ダンス、化粧台等で指紋検出を試み、一〇個位の現場指紋を検出して、指紋転写紙八枚に転写した。これに乙山竹子から採取した関係者指掌紋用紙一枚、足跡転写紙一枚、紙検体(封筒)一枚をビニール袋に入れ、折柄現場に来た本署刑事課の川手尚年巡査部長に引き継いだ。

(二) 本件指紋転写紙裏面の記載について

被控訴人松本等の刑事公判廷における供述は次のように変遷している。

(1) 被控訴人松本は、当初、被控訴人松本自身が現場で指紋転写紙裏面の事件名、採取日時、採取場所、採取物件、採取者欄のすべてを記載したという。川手も被控訴人松本から引継ぎを受けた指紋転写紙裏面の各記載事項はすべて記入されていた旨を述べている。

(2) 第六回刑事公判廷において、被控訴人松本は本件指紋転写紙裏面の各欄のうち、事件名欄、採取者欄は住之江署の鑑識係岡本光彦巡査が記載したと供述を変えた。しかも、岡本巡査により記載された時期についても第二回刑事公判の前か後かにつき動揺しながら不自然な証言をしている。

しかし、被控訴人松本は採取日時、採取場所、採取物件の各欄は、第一事件現場で被控訴人松本自身が記入したものといっている。

ところが、馬路鑑定によると、本件指紋転写紙裏面の採取日時、採取場所、採取物件の各欄の文字は、被控訴人松本が代書した乙山竹子作成の被害届、被控訴人松本作成の平成三年五月七日付捜査報告書、刑事公判廷(第二、第六回)の宣誓書の署名、メモの筆跡と相違し、各欄の記載は被控訴人松本の自筆でない可能性が極めて大きいとされている。

これにつき、被控訴人らは右鑑定資料のように座って記載したものと本件指紋原紙のように立ったままで急いで書いたものとでは筆記条件が異なるので、別人の文字と誤られやすいものであって、右鑑定は不当である旨主張する。

しかしながら、馬路鑑定は筆記具、筆記姿勢、筆記速度を異にして記載された鑑定資料に基づき、筆記条件、筆記中の心理等に十分配慮して、個性的な筆跡の一致、稀少性の高い筆跡の相違等を重視してなされたものである。したがって、被控訴人ら主張の筆記姿勢、筆記条件の差異を考慮に入れてもなお右馬路鑑定は採用すべきものである。

しかも、本件指紋転写紙裏面の採取日時欄の時刻が一九時と誤って記載されている。また、被控訴人らは、本訴において、本件指紋転写紙裏面の右記載が被控訴人松本によるものである旨の筆跡鑑定申立も、(私的)鑑定書の提出もしない。

そうすると、本件指紋転写紙の裏面には、立会人の署名がないばかりか(当事者間に争いがない)、犯罪捜査規範等により定められた採取者自身の記載が全く欠落しているものというほかない。

(3) アリバイについて

控訴人に第一事件当日である平成二年九月二七、二八日にアリバイ(不在証明)があれば、第一事件現場に控訴人の指紋が残されることがないのは当然の事理である。

そこで、次にアリバイについて検討する。

イ 控訴人が勤務先で使用しているトラックのタコグラフ、運転日報などによると、控訴人は同月二五日午前一〇時から同月二七日の午後一時頃までの間、勤務先会社の指示に従い、トラックで福岡県八女郡と静岡市榛原郡との間を往復し、約二〇八一キロメートル走行している。そして、同月二九日午前九時頃会社に出勤している。

ロ これらによると、控訴人は少なくとも同年九月二七日午後一時頃から翌々日の同月二九日午前九時頃までの間には、福岡県八女郡広川町の自宅から大阪府住之江区の約六七六キロメートルを往復し、約一三五二キロメートルを走行しなくてはならない。そうすれば、控訴人は同月二五日午前一〇時頃から静岡県榛原郡、福岡県八女郡間を往復し、ついで休む間もなく同八女郡から第一事件現場のある大阪府住之江区を往復し、合計約三四三三キロメートル(一日平均八五〇キロメートル強)を走破したことになる。これは職業運転手としても疲労の極に達する程のもので、こうまでして大阪府住之江区へ行かねばならない合理的理由は見当たらない。

控訴人の自供調書によれば「以前一年半位文通をしていた彼女戊田梅子(豊中市長興寺甲田三〇三号)を訪ねて交際を申し込み、うまくいったら花博にでも行こうと思い、私の軽四輪を運転して大阪に来た」というのであるが、当時控訴人は既に人妻の丁原夏子と深い関係にあったのに、どうして突如戊田梅子を訪問する気になったのか甚だ疑問である。

そのうえ、戊田梅子は控訴人が高校二年当時修学旅行の折り、スキーのインストラクターとして指導してくれた人で、文通が途絶えてから既に数年を経過しているのであるから、控訴人がこうまで無理をして疲労をおし、転居も予想される同女を訪ねるとは思えない。

ハ まして、控訴人は同年九月二七日午後一一時過ぎ頃まで自宅付近にある丁原春夫、夏子方を訪ねていた可能性が極めて強い。そうすると、福岡県八女郡からそのころ出発し、第一事件現場である大阪府住之江区に遅くとも午前六時に到着することはほとんど不可能である。この時間帯の交通機関は自動車しかないし、控訴人は平成三年二月二八日に廃車した軽四輪貨物自動車(ホンダアクティストリート、五五〇cc)を使用するほかなかった。この場合、その間六時間三〇分で到着するには平均時速一〇〇キロメートル以上が必要であって、右軽四輪ではそれは不可能といえる。

ニ 第一事件現場で採取した足跡痕と控訴人のそれとの一致については、被控訴人らにおいて何ら主張、立証をしないし、本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。また控訴人が否認を始めた頃、住之江署警察官はポリグラフ検査をしたがほとんど反応がなかった。

ホ 以上の認定事実に照らすと、被控訴人にはアリバイが成立するというほかない。

5  第二事件現場での採取の可能性

被控訴人らは前示のとおり、第二事件現場での本件指紋採取の可能性を否定している。

なるほど、前示二1の原判決の引用による認定事実1(二)に照らすと、平成二年一〇月一日、控訴人が大阪市住之江区内で車上ねらいの被害届を住之江署に出した。番巡査がこれを受理し、同日北川巡査部長は、控訴人立会の下に被害車両(控訴人運転のトラック)につき鑑識活動に当たった。その際、北川は結局対象可能指紋は検出できず、指紋転写紙に指紋を採取することなく終了した。控訴人の指紋を関係者指紋として採取することもなかった。このように北川は述べている。そして、控訴人自身もその旨を一応は供述している。

このような点を考えると、控訴人の認識する限りでは、第二事件現場の鑑識活動中に指紋採取が行なわれなかったと一応認められる。しかし、控訴人の知らない間に、右鑑識活動中、又は前同日、控訴人が住之江署に被害届を提出した過程の中で、本件指紋が採取された可能性は皆無とはいえず、これを全く否定することはできない。

そして、前示認定(原判決の引用による)のとおり同年九月八日第一事件現場の指紋採取が行なわれているのに、本件指紋転写紙等は住之江署鑑識係岡本光彦巡査の保管用引出しに保管され、何故か同年一〇月五日になってから本件指紋転写紙を他の指紋転写紙五枚、紙検体(封筒)一枚、現場足跡転写紙一枚、関係者指掌紋用紙三枚を本部鑑識課に送付している。そうすると、時間的にみても第二事件現場や被害届提出など第二事件処理の過程で採取された指紋が第一事件のものに混入して送付される可能性は十分あり得るのであって、これを否定することはできない。

6  まとめ

前示4のとおり、本件指紋転写紙裏面の記載が当初は全く欠落していたこと、控訴人にはアリバイが成立するものと認められることなどからみて、本件指紋が第一事件現場で採取された可能性は、これを否定することができる。これに対し、前示5のとおり、本件指紋が第二事件処理に関連して採取された可能性を否定することはできない。

そして、控訴人が事件当日前後に住之江署警察官その他の警察官に接触したのは、第二事件現場、第二事件処理関連場所以外にはない。そうであれば、第三の場所から本件指紋が採取されることは考えられない。

そうすると、住之江警察署の警察官は、控訴人の本件指紋について、これが真実は第二事件の処理の過程で採取されたものであって、第一事件現場で採取されたのではないのに、本部鑑識課に送付するまでの段階で、第一事件に関する指紋として混入する事態を招いたものと推認することができる。

ところで、指紋は極めて証明力の高い強力な証拠方法ではあるが、それは各指紋につき採取目的・採取場所等の採取時の状況が明らかにされていることが前提条件である。

一方、指紋が決定的証拠となり、その証明力が強力であればある程、それだけ混入等の事態が発生すれば、罪のない者が、強い犯罪の嫌疑をかけられ、これによって刑事訴追されて、その防御に窮する危険性が極めて高い。したがって、指紋に関する証拠を取り扱う警察官は職務上、慎重かつ万全の注意をする必要があることはいうまでもない。

本件では、右のとおり、住之江署の警察官は、控訴人の本件指紋について、第一事件現場で採取されたのではないのに、第一事件現場に関する指紋として混入する事態を招いたものというほかない。そして、このような行為に合理的な客観的根拠が欠如していることはいうまでもないから、この点に過失が認められることは明らかである。

また、前示のとおり指紋混入が人違いの刑事訴追を招く危険性の高い行為であって、この点に違法性が認められる。

なお、本件において、本件指紋を混入したのが、住之江署の警察官のうちの具体的にどの警察官であり、第一事件の処理に関連した一連の行為のどの段階でどのような態様のものであったかについてはこれを具体的に示す証拠はない。

しかし、本件では、右のとおり、住之江署警察官は、第一事件現場での鑑識活動を行ってから、同採取指紋を本部鑑識課に送付するまでの指紋転写紙等の取り扱いの一連の作業過程(本件一連の作業過程)のうちのいずれかの段階における故意又は過失による違法行為によって、第二事件処理関連の場所で採取された指紋を混入する事態を招いたといえるから、前示3で説示したとおり、被控訴人大阪府は損害賠償責任を免れることはできない。

したがって、その余の逮捕状請求の違法性、逮捕前の取調べの違法性などの判断をするまでもなく、被控訴人大阪府は、その公権力の行使に当る住之江署警察官が、その職務を行うについて、故意又は過失によって右違法な指紋混入により控訴人に加えた損害につき、国家賠償法一条一項に基づき賠償すべき責任がある。

第二  控訴人に対する公訴提起の違法性に関する検討(争点4)

一  公訴提起の違法性

刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるとういことはない。けだし、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑であれば足りるものと解するのが相当であるからである(最判昭五三・一〇・二〇民集三二巻七号一三六七頁)。

さらに、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である。したがって、公訴の提起後その追行時に公判廷に初めて現れた証拠資料であって、通常の捜査を遂行しても公訴の提起前に収集することができなかったと認められる証拠資料をもって公訴提起の違法性の有無を判断する資料とすることは許されない(最判平元・六・二九民集四三巻六号六六四頁)。

二  控訴人の主張は次のように要約することができる。

1  控訴人は、本件第一事件の犯行を否認していた。また、控訴人弁護人は、第二事件の現場で採取された指紋が混入した疑いがあること、控訴人の弁解には十分な理由があることを検察官に対して指摘していた。

2  ところが、甲田検事は、本件指紋転写紙裏面を確認し、採取者である被控訴人松本を取調べるなど、第一事件現場での指紋採取活動から採取した指紋を本部鑑識課に送付するまでの本件一連の作業過程の捜査をしなかった。

3  右捜査をすれば、本件指紋が第一事件現場で採取されたものでないことは明らかとなり、たとえ当時甲田検事が収集していた証拠資料と総合勘案して合理的に判断したとしても、本件指紋が第一事件現場で採取されたとみることはできなかった。

4  右捜査は、当時の状況下では検察官に通常要求されるものである。

三  控訴人の主張の検討

1  事実認定

原判決二八枚目表五行目の「証拠」から二九枚目裏五行目文末までを引用する。

2  控訴人の主張に対する判断

右認定事実によれば、甲田検事が公訴提起をするまでの捜査及び判断過程は次のとおりである。

本件公訴提起当時、控訴人は自白を覆し犯行を否認していた。また、弁護士からは、第二事件が発生した際に採取された控訴人の指紋が混入した疑いが強いことが指摘されていた。さらに、控訴人の犯行当日のアリバイ等の弁解も主張されていた。

甲田検事は、これらの状況を踏まえ、まず本件第一事件の犯罪立証のための決定的証拠である本件指紋が、真実第一事件現場の鑑識活動から採取されたものか否かの捜査を行った。すなわち、甲田検事は、捜査担当の警察官を通じて、指紋混入の点の補充捜査を求めた。この結果、北川及び直接の上司である番巡査から捜査復命書の提出を受けた。甲田検事はその報告内容を検討した結果、第二事件の現場から対象可能指紋は採取できず、かつ控訴人の指紋を関係者指紋として採取しなかったものと理解した。また、甲田検事は、起訴の前日に控訴人を取調べ、第二事件の現場から指紋は検出されず、さらにそれ以外の機会に指紋が採取されるような場合はあったかを確認したが、控訴人からこれに対する応答はなかった。

甲田検事は、右のような捜査を遂行し、得られた各種の証拠資料を総合勘案し、本件指紋が混入する可能性を経験則上否定することができるとして、控訴人には有罪と認められる嫌疑があるものと判断した。

ところで、甲田検事の右判断は、その後、刑事裁判などによって明らかになった証拠に照らすと、控訴人の自供内容の不自然さや、控訴人から主張されているアリバイ成立の可能性を示唆する資料を、当時同検事が既に入手していたことからすると、疑問を挟む余地もないではない。

また、本件指紋について、単に住之江署の捜査官から報告を受けたり、控訴人の記憶に基づく供述を得たことのみで、それ以上の捜査を不要と判断したことについても、本件第一事件の犯罪立証の中で、本件指紋のもつ重要性(本件指紋が第一事件現場から採取されたものでないとすると、事件の立証は極めて困難なものになる)に照らして、不十分なものであった疑いがないとはいえない。

しかし、甲田検事が、第二事件現場から控訴人の指紋が採取されなかったことの補充捜査を行い、控訴人からの供述を求めるなどした結果、第一事件現場以外の機会に、本件指紋が混入する可能性を否定する旨の判断をしたことが経験則上およそ是認できないほどのものということはできない。そして、甲田検事が、さらに本件指紋転写紙裏面を確認し、また、本件指紋採取状況に関し、採取者である被控訴人松本の取調べをする必要性がないと判断したことについても、事後的、結果的には怠慢のそしりを免れないとしても、公訴提起当時の判断としてみる限り、通常要求される捜査を尽くさなかったことには当らない。

そうすると、本件では、公訴提起当時に、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収受し得た証拠資料を合理的判断過程により総合勘案して、有罪と認める嫌疑があったものというべきである。

3  よって、争点4に関する控訴人の主張は理由がない。

第三  被控訴人松本の偽証の有無に関する検討(争点5)

原判決三〇枚目裏一行目文頭から三四枚目表四行目文末までを引用する。

ただし、次のとおり補正する。

三二枚目裏二行目の「少なくとも」を「全部、少なくとも」と改める。

同七行目の「同被告が」を「被控訴人松本は本件指紋転写紙が第一事件現場で自らが採取したものであると信じ、前認定のとおりこれが第二事件処理の関連場所等で採取されたものが混入したものであるとは知らなかったと認められる。そうであってみれば、被控訴人松本が」と改める。

三三枚目表二行目の「右鑑定理由中には」から同六行目の「断定しがたいし、」までを削除する。

第四  乙野副検事の偽証教唆ないし共謀の有無に関する検討(争点6)

原判決三四枚目表六行目文頭から三五枚目表四行目文末までを引用する。

ただし、次のとおり補正する。

三五枚目表二行目文頭から同四行目文末までを次のとおり改める。

「2 右認定した事実のもとでは、乙野副検事が被控訴人松本に対し、偽証を教唆し、又は偽証の共謀をしたとはいえないことが明らかである。ほかに、控訴人の主張を認めるに足る的確な証拠がない。

よって、争点6に関する控訴人の主張は理由がない。」

第五  本件指紋転写紙提出の遅延の違法性に関する検討(争点7)

原判決三五枚目表六行目文頭から三六枚目表六行目文末までを引用する。

ただし、次のとおり補正する。

三六枚目表三行目の「証拠」から四行目文末までを「証拠としての提出には遅延があるが、これが社会通念上看過しえない違法な遅延であるとまではいえない。」と改める。

第六  第一事件指紋転写紙の証拠開示拒否ないし廃棄の違法性及び浦岡の偽証の有無に関する検討(争点8)

原判決三六枚目表九行目文頭から三八枚目表四行目文末までを引用する。

ただし、次のとおり補正する。

一  三六枚目裏六行目の「第一事件現場」から同八行目文末までを次のとおり改める。

「第一事件現場で採取されたとして本部鑑識課に送付された指紋転写紙は、本件指紋転写紙を除き、いずれも対象不能指紋であったため、平成二年一〇月一五日ころ焼却した。

二  三六枚目裏一〇行目及び三七枚目表一行目の「関係者一致指紋」を「関係者指紋」と改める。

第七  保釈決定に対する抗告の違法性に関する検討(争点9)

控訴人は、乙野副検事が、本件指紋転写紙裏面の事件名、採取者名及び採取者所属欄が被控訴人松本によって記載されたものでないことを知っていたにもかかわらず、控訴人に対する保釈決定に対して抗告したのは違法であると主張する。

しかし、以上の認定判断を総合すれば、本件指紋転写紙裏面中の右記載が被控訴人松本によって記載されたものでないとしても、このことによって控訴人が犯人であるとの嫌疑が消滅したとはいえない。また、当時控訴人について罪証隠滅のおそれが消滅していたともいえない。そうすると、控訴人を保釈すべき明らかな状況であったものでないことは明らかである。したがって、保釈決定に対し、対立当事者として乙野副検事が不服を申立て、抗告審の判断を求めたことには合理的な根拠が客観的に欠如していることが明らかであるとはいえない。したがって、これをもって、刑事裁判における対立当事者の権限行使の範囲を逸脱したものと解することはできない。

そうとすれば、乙野副検事が保釈決定に対して抗告をしたことが国家賠償法一条一項の適用上違法であると認めることはできない。

よって、争点9に関する控訴人の主張は理由がない。

第八  損害

一  休業補償(認容額一六六万五一一六円)

1  《証拠略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 控訴人の逮捕前六か月間の収入は、合計一六一万二〇〇〇円であり、一日当たり八八五七円である。

(二) 控訴人は、平成三年四月二五日に逮捕された後、同年一〇月九日に保釈されるまで、合計一六八日間身柄を拘束された。

(三) 控訴人は、保釈中、第六回公判期日から第一五回公判期日まで一〇回、控訴人住所地から大阪地方裁判所に出頭した。

右出廷のためには片道五時間以上を要するうえ、弁護人との打合せ時間も必要なため、一回の公判出廷につき、二日分休業せざるをえなかった。

2  以上によれば、控訴人の身柄拘束による休業日数は一六八日、公判出廷による休業日数は二〇日である。

したがって、一六八日に二〇日を加算した一八八日に八八五七円を乗じて算定される一六六万五一一六円が休業損害となる。

以上によれば、右一六六万五一一六円は、被控訴人大阪府が賠償すべき損害となる。

二  慰謝料(認容額二〇〇万円)

前示のとおり、控訴人は、本件指紋混入により、身に覚えのない犯罪の嫌疑をかけられ、人格を著しく侵害されるとともに、その社会的評価を毀損された。

また、刑事訴追を受けることによって有罪の危険にさらされ、長期間身柄を拘束されるなどの甚大な精神的苦痛を被った。

以上に本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、控訴人の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、二〇〇万円をもって相当と認める。

以上によれば、右二〇〇万円は、被控訴人大阪府が賠償すべき損害となる。

三  刑事弁護費用(認容額一〇〇万円)

1  《証拠略》を総合すると、控訴人は、本件刑事訴追によって刑事弁護を委任せざるをえなくなり、刑事弁護報酬として、総額一四〇万円を弁護士片井輝夫に支払ったことを認めることができる。

2  そして、前示二に判示した事情に本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、住之江署警察官の本件違法行為と相当因果関係にある刑事弁護費用は、右一四〇万円のうちの一〇〇万円であるものと認める。

以上によれば、右一〇〇万円は、被控訴人大阪府が賠償すべき損害となる。

四  交通費・宿泊費(認容額一一万二三四〇円)

1  《証拠略》を総合すると、控訴人は保釈後の公判出廷につき、総額一一万二三四〇円以上の交通費・宿泊費の支出を余儀なくされたことを認めることができる。

2  以上によると、右一一万二三四〇円は被控訴人大阪府が賠償すべき損害となる。

五  刑事補償請求、費用請求の手数料(認容額二〇万円)

1  《証拠略》を総合すると、控訴人は、刑事補償請求及び刑事費用請求を弁護士片井輝夫に委任し、その手数料として二〇万円を支払う旨の報酬契約を締結していること、控訴人は右請求の結果、二八九万三六一〇円の支払を受けたことが認められる。

2  右事実によると、住之江署警察官の本件違法行為と相当因果関係にある右手数料支払は、右二〇万円であるものと認める。

以上によれば、右二〇万円は、被控訴人大阪府が賠償すべき損害となる。

六  本件損害賠償請求訴訟の弁護士費用(認容額二〇万円)

1  控訴人が本件訴訟を控訴人代理人に委任したことは当裁判所に明らかである。

2  前示二に判示した事情に本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、住之江警察署警察官の本件違法行為と相当因果関係にある右弁護士費用は、二〇万円であるものと認める。

以上によれば、右二〇万円は、被控訴人大阪府が賠償すべき損害となる。

七  まとめ

以上の損害額は合計五一七万七四五六円となる。そして、被控訴人大阪府は控訴人に対し、これから刑事補償及び費用請求により控訴人が受領した二八九万三六一〇円を控除した二二八万三八四六円の損害賠償請求及び同金員の内、本件損害賠償請求訴訟の弁護士費用損害二〇万円を除く二〇八万三八四六円に対する不法行為後である平成五年一月二六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

第九  総まとめ

以上をまとめると次のとおりである。

一  控訴人の被控訴人大阪府に対する請求は、金二二八万三八四六円及び内金二〇八万三八四六円に対する平成五年一月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。

二  控訴人の被控訴人松本公一に対する請求は理由がない。

三  控訴人の被控訴人国に対する請求は理由がない。

第一〇  結論

控訴人の被控訴人大阪府に対する控訴は一部理由があるから、原判決中被控訴人大阪府に関する部分を変更し、控訴人のその余の被控訴人らに対する控訴は理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉川義春 裁判官 小田耕治 裁判官 杉江佳治)

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